タロットカードの昼と夜

「二律背反性」をテーマにタロットカードの意味を解説していきたいと思います

大アルカナ1番「魔術師」の意味

はじめに

この記事では大アルカナ1番「魔術師」の解説をします。

愚者は0番で、このカードが1番です。

1番、すなわち、準備段階が終わり後の「目覚め」や「開始」を意味しています。

そして、「何かが始まる」といった受け身的な態度ではなく、「何かを始める」という意志や情熱に裏打ちされた主体的な態度を表します。

大アルカナの1番にふさわしいエネルギー溢れるカードです。

絵の解釈

カードには自信に満ちた若い男性が描かれています。

そして、この男性は、気の向くままに旅する0番「愚者」とは異なり、何かに気づき、確固たる意志を持って覚醒した者です。

まず、純粋さを表す白い服の上に意志や情熱を表す赤い服を着ています。

これは、この男性が、物事を広く吸収する純粋さを残しつつも、今はそれをアウトプットしようという強い情熱を持っていることを表しています。

そして、右手に持った杖で天を指し、左手で地上を指しています。

これは、この男性が、天と地上をつなぐ存在としての人間であることを示しています。

そして、右手の杖で天からのエネルギーを集め、それを地上に振りまくことで、赤いバラ(愛)と白い百合(純潔)が咲き乱れています。

この男性は、天と地上の間に存在する人間として、天(理想)からのエネルギーを受けて、地上(現実)で花を咲かせようとしているわけです。

そして、頭上には無限のマークがあり、強い情熱を持った人間の無限の可能性を示しています。

また、腰のベルトは、自らの尾を咬む蛇のデザインで(いわゆるウロボロスの蛇)、これは永遠の象徴とされ、人間のこういったプロセスは永遠に続くことを暗示しています。

テーブルの上には、ワンド(意志)、ソード(知性)、カップ(感情)、コイン(物質)の4つが置かれていて、この男性は、これら4つのすべてを使って、意志を実現しようとしていることを示しています。

以上のように、このカードでは、強い情熱をもって、天(理想)のエネルギーを受けて、地上(現実)で何かを成し遂げようと覚醒した者と、その無限の可能性が描かれています。

ありのままの自分

最近はとかく「ありのままの自分」というものが強調されます。

これは学校教育の影響もあります。

ゆとり教育はさておき、詰込み教育をやめようという流れは30年以上前からあって、その結果、知識・価値観を詰め込むのではなく、子供たちが生まれ持った個性を伸ばすという姿勢が強調されます。

そのような社会の流れを受けて、現代では、「ありのままの自分」とか「自分らしさ」というものの存在が当然のように語られます。

しかし、自分自身で考えてみるとわかるように、「本当の自分」というものは、あるような気もしますが、確固たるものであるかは結構あやしく、よくわからないというか、おぼつか無い存在でもあります。

「生まれもった自分らしさ」というものは、本当に自分の中にあるのでしょうか。

もし砂漠に自分一人しかおらず、誰とも触れ合わず、社会で何の役割も演じないまま、そこで成長したとすれば、そんな環境ではアイデンティティーは育たないと考えられます。

つまり、自分内面を強調したところで、本当のところ、「自分が誰か」は他者や社会とのコミュニケーションの中で初めて決まります。

結局、自分というものは、物体としては存在するし、自分の頭であれこれ考えたりするわけですが、他者や社会があって初めて存在するものなわけです。

もちろん、そういった社会的の一部として定義される自分を除いても個人の感性は残ります。

絵や音楽を鑑賞したときの好き嫌いのような直感的な感性は個人個人が生まれもったものといってもいいと思います。

しかし、それは当然人によって違うので、そういった直感的な感性を前面に出しながら社会生活を送ろうとしたら、感情的な対立ばかりとなって、同質な人間で徒党を組む以外に方法がなくなります。

学校や職場など人は何らかの社会生活は不可欠ですが、感性むき出しで気の合う仲間とだけ付き合うというわけにもいかず、気の合わない人も含め、感情を抑えつつ、他人の感情に配慮しつつ、様々な人々と付き合っていく必要があります。

しかし、そこで内面ばかりを重視して、持って生まれた「自分らしさ」みたいなものを強調してしまうと、社会活動が「自分らしさ」の妥協の連続のように感じられ、すべてが嘘みたいに思えてくるはずです。

社会の中の自分が嘘だとして、それとは別に「本当の自分」がいるとしても、それを自分自身で肯定する方法はありません。

ナルシストというのは、自分に絶対的な自信を持ちながらも、他者が自分をほめてくれないと自尊心を満たせないという点で、非常に他者依存の存在です。

それと同じで、社会の一部としての自分を直視せず、「ありのままの自分」を絶対的に肯定しようとすると、社会活動は「自分らしさ」を隠した嘘の連続であると感じるようになり、その一方で「自分らしさ」という不確かなものを肯定する方法はみつかりませんから、孤独の中で自分の直感的な感性を叫ぶだけの承認欲求モンスターを育てるだけとなります。



なりたい自分

以上は現代社会の特徴ですが、昔は少し違いました。

昔の不良は校舎の裏でタバコを捨っていました。

最近の若者からすると、なぜ余計なことをするのかと理解されないらしいですが、やりたいことは学校への反発でしたから、学校内でグレる必要がありました。

昔は今と違って、血筋、家柄、生まれた土地など、持って生まれ自分の力ではどうすることもできない要素がたくさんありました。

そこで、戦後は、自由と平等な社会の構築が進められ、人生が生まれによって決まることのないように、知識や技術といった、本人の努力や教育で後天的に決まる要素を重視するようになりました。

しかし、それでも、親や教師による価値観の押し付けは今とは比べ物にはならず、当然のように、特定の価値観を持つことを要求されました。

その結果、成長の過程では様々な軋轢があり、家庭内暴力や校内暴力なんてものが70年代、80年代は流行するわけです。

しかし、その反面、今のように「ありのままの自分」を大事にしろなんて話はほとんどありませんでした。

成長して何者かになるのは当たり前であり、主戦場はその方向をめぐるバトルでした。

ある方向に行くように強要され、それに反発して別の方向に行くわけですが、焦点は「自分は何者になるのか」であり、何者かになるのが当然でした。

70年代も80年代も若者の自殺は常に話題になっていますが、その当時の若者の悩みは、なりたい自分になれない自分への葛藤でした。

いつまでたっても自分の行く方向を見いだせずにぐずぐずしている自分に絶望とか、成功を夢見ていろいろ挑戦するもうまくいかないとか、彼らの心の叫びは、「何者にもなれない私を見ないでくれ」でした。

しかし、今の若者の心の叫びは「本当の私を見て」です。

「ありのままの自分」とか「自分らしさ」を強調されるあまり、自分を抑え他人を傷付けないように配慮するといった、妥協の連続の社会活動が嘘の世界のであり、そこにいる私は本当の私ではないと感じられる中で、孤独に陥り、裸の自分を肯定する方法を探しているわけです。

しかし、社会的なかかわりを度外視したところの「ありのままの自分」を自分で肯定しようとしても無理な話で、結局誰かに肯定してもらう以外に方法はなく、孤独な無間地獄となってしまいます。

魔術師の教え

以上、長々と関係なさそうなことを語ってきましたが、私は、このカードにはタロットの面白さが詰まっていると思います。

タロットを発展させたのは、オカルト好きの神秘主義者達ですが、かれらは超自然的なものに惹かれたからこそ、しっかりと現実も見えています。

このカードの魔術師は、大いなる意志を持って、何者かになろうとしています。

使えるものはすべて使うという意味で、4つのスートがテーブルの上に置いてあるわけですが、そこにあるのは、ワンド(情熱)やカップ(感情)だけではなく、コインとソードもちゃんと置いてあります。

ソードが象徴する知性の知は、知識の知であり、社会の仕組みを理解するためのものです。

また、コインは物質の象徴ですが、俗物でもあり、社会で生きていくために必要なものです。

神秘主義ではありますが、神とか心だけを問題にしたりせずに、しっかりと現実を見据えているわけです。

自己実現といっても、社会と真正面から向き合わずに「本当の自分」ばかり強調すると、孤独の中で「誰か自分を肯定してくれ」と叫ぶだけになってしまいます。

あくまで、社会の中で、自分なりの情熱をもって何者かになり、何かをする必要があります。

そう考えると、世界が自分だけで完結するかのように、「ありのままの自分」で生きていくことを強調したり、むやみに孤独を持ち上げたりする、現代の自己啓発本の方がよほど非現実的でオカルト的な気がします。

秘められた自分の本質なんてものを強調していくら自分の内面を見つめたところで、持って生まれた直感的な感性以外にあるはずもなく、社会的に決まる「自分は誰なのか」を無視した「ありのままの自分」なんてものは肯定しようにも方法がありませんから、最終的にはオーラや前世が見える人に教えてもらう以外に道がなくなります。

タロットの大アルカナの1番は「魔術師」であり、大いなる意志をもって、天と地上をつなぐものであり、情熱や感情だけでなく、俗的な知識や物質も駆使して、人間社会で意志を実現する者であり、神や天使と孤独の中で会話する存在ではないわけです。

0番の愚者は、自分の感性の向くままに旅する存在ですが、それもどこかで終わり、自分の社会的な存在に目覚めるというのがこのカードです。

何者かになるというのは、社会へ働きかけ、社会から影響を受け、社会の中で自己を実現させていくことを意味します。

そして、そうすることによって作り出されまた発見される自分こそが「本当の自分」といえます。

まとめ

正位置
始まり。目標の達成に向けての現実的な行動。理想と現実のギャップを乗り越える意志。

これは裏側から言うと、他者や社会との軋轢の始まり。

逆位置
内面で考えているだけで何も始まらない。自分勝手な承認欲求。

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テーマの著者 Anders Norén