はじめに
今回のカードは大アルカナ14番「節制」です。
大アルカナのカードはどれも明確なイメージを持っています。
その点この「節制」というカードは、徹底的に抽象的で、ちょっとつかみづらいカードです。
人生において節制が大事というメッセージは分かるのですが、ほかのカードではあれこれ解釈をしているのに、このカードだけはそれで終わってしまいかねないような、広げようがない抽象さがあります。
鏡リュウジさんの『実践タロットリーディング』によると、レイチェル・ポラック氏をはじめ、大物タロティスト達も、比較的その解釈に苦戦しているようです。
他の書籍を見ても、一部の奇抜な解釈をしている方が目立つ一方で、大多数は、節制という言葉のイメージ通りに、節度、中庸、自制心といった穏当な解釈をしています。
そんな節制ですが、何とか、自分なりに解釈をひねり出してみたいと思います。
絵の解釈
このカードの解釈が難しいのは、「節制」という言葉が抽象的なことに加え、カードのデザインもシンプルなことになります。
まず、天使が二つの器の間で水をやり取りしています。
この図こそがカードの解釈の肝だと思いますが、感情の象徴たる水を一方から他方へと移動させています。
そして、この一方にとどまらず他方へと動かすことこそが節制につながる態度を意味しているのだと思いますが、この点の深入りは後回しにします。
そして、天使には赤く力強い羽がありますが、白いドレスを着て、落ち着いた顔をしています。
つまり、この天使は、強い力を持つものの、理性的な心で節制を保ち、平静を維持している様子を暗示していると思います。
この天使は、片足を感情の象徴たる水に入れ、もう片足を現実の象徴たる大地に着けています。
つまり、感情に気を配りつつも、現実生活にも気を配り、感情におぼれないような態度を暗示しています。
また、同様に天使の胸には三角形と四角形のマークがありますが、四角形は4元素からなる物質生活を、天を指す三角形は精神生活をそれぞれ意味し、両面における節制の重要性を説いていると考えられます。
そして、天使の後ろ側で、大地にはアイリスが生い茂っていて、現実生活での繁栄を象徴するとともに、自らは一本の道が遠くまで伸びていますが、その先には輝く王冠があり、精神面も含めた大いなる栄光へ続く道であることも示しています。
つまり、このカードは、物質面でも精神面でも節制した態度が重要で、その態度が、豊かな社会生活や心の平穏につながることを示していると言えます。
Temperanceの意味
このカードの難しさの本質は、Temperanceという言葉と、その訳語としての節制という言葉にあります。
Temperanceを節制と訳して何一つ間違いは無いのですが、より深く理解するために語源にさかのぼってみます。
Temperanceの語源はラテン語のTemperareであり、「調節する」という意味のほかに「混ぜる」という意味もあるようです。
英語のTemperも仲間の単語で、(人の)気分とか気質という意味ですが、昔は人間の気質や性格は、体内の4種類の液体の配合で決まると思われていたため、それらが混ざった結果として、Temperという言葉が気質という意味で使われるようになったらしいです。
他にも、Temperatureというのは今でこそ「温度」の意味ですが、語源的には、過ごしやすい気候、つまり、暑さと寒さが混ざり合って丁度良い温度という意味だったそうです。
なんでこんな話をしているかというと、Temperanceを節制と訳するときにはこの視点が外せないからです。
節制と言うと、自制とか忍耐とかが連想され、最終的に、禁酒とかダイエットといった、何かを我慢するという方向に行きやすいです。
しかし、本来のTemperanceの意味は、混ぜて調整して丁度良いところに落ち着けることです。
節制と言っても、禁酒とか禁煙とかから連想されるような、何か悪いものを我慢するといったものではなく、混ぜる、すなわち、極端に陥らないという意味です。
したがって、Temperanceの訳に節制を当てるとしても、その意味は、何を我慢することではなく、極端に陥らないことです。
そして、カードデザインにおいて、天使が水を一方から他方に移しているのもこのことを意味しているのであって、特定の価値観に偏らず、特定の感情にとらわれず、水を移動させ、丁度良い状態に落ち着けるように、心がけているわけです。
つまり、このカードの節制とは、偏らないこと、とらわれないこと、こだわらないことを意味しているのだと思います。
清廉であっても
今は炎上の時代なんて言われますが、炎上しているのはネットだけでなく、現実社会でも大小さまざまな諍いが尽きないと言われています。
電車の中や店先で怒っている人を見るのはしょっちゅうで、街中での喧嘩や口論などは後を絶ちませんし、キレる老人、キレる若者、キレる子供、世の中全員イライラしているかのような状況でもあります。
それに対して、最近は、感情を抑えられない人、自分をコントロールできない人が増えたなどといわれます。
しかし、それは間違いであるという指摘もあります。
電車に乗る時は列を作り並んで待ち、コーヒーショップでも同様、職場ではマニュアルに従って徹底的に無駄なく合理化された動きをします。
現代社会では、誰もが無駄のない合理的な社会運営を実現するために、朝から晩まで自分を自制して生きています。
そうして誰もが高度な自制心を実践している反面、昔の社会では笑って許されたことまで、みんながみんな許せなくなっているという説もあります。
皆が皆、高度に自分を制御しているからこそ、はみ出した人が許せなくなるわけです。
自分を制御できない人がおらず、気高い人たちが集まる場所として、聖職者たちが集団生活する修道院などがあります。
修道院などでは、誰もが謙虚で道徳的な態度で暮らし、さぞストレスのない生活を送っているかと思えば、実像はそうでもないと言われます。
なぜかというと、私たちの社会のようなルール違反者はいないのですが、ルール違反の基準が変わるだけで、私たちの社会ではだれも気にしないような細かいことがルール違反として認識されて、結局、ストレスにつながるようです。
つまり、自分が清廉になればなるだけ、他人を許せなくなるのが人間なわけです。
古代中国の六韜という兵法書においては、参謀が主君に、「清廉であっても他人にそれを求める者は将校として登用してはならない」とアドバイスしています。
なぜかと聞かれ、そういった者はちょっとからかわれただけで我を忘れて怒り、理性的な判断が出来なくなるから大事は任せられない、と説明します。
このように、道徳的とか清廉さとった、正しい性質でも、突き詰めていくと欠点になりかねません。
ここは人生における究極の矛盾とも言えます。
自分なりの価値観を構築し、自分はこうやって生きるといった信念を持たないと幸せな生活というのはできません。
多様な情報中で、あれもこれもと迷っているだけでは前に勧めませんし、幸せにもなれません。
しかし、それが行き過ぎて、人間はこう生きるべきなのだとか、妥協は許されないとった態度まで行き着いてしまうと、他人が許せなくなり、様々な方向で周囲と軋轢を生むどころか、最終的には自分の首を絞めることにもつながり、心の平穏も豊かな生活も遅れなくなります。
善悪の区分は大事ですが、それも行き過ぎてはだめで、他人の些細な間違いは飲み込むことも重要で、そういった意味で極端な態度を節制し、中庸を維持することが重要です。
節制に混ぜるという意味もあるというのは、非常に含蓄のある話だと思います。
このカードの意味
このカードデザインにおいて一番重要なことは、天使が水を一つの器から別の器に移していることだと思います。
これこそが節制の本質であり、ようするに、一つのことにとらわれるな、こだわるな、というのは意味だと思います。
強い力(赤い翼)を持っていたとしても、一時の感情や自分の価値観にとらわれ、力でどうこうするのではなく、沸き起こる感情(水)を一方から他方へ移動し、うまく調整することこそが節制なわけです。
「戦車」や「女教皇」のように白と黒の間でバランスを取るというのにも近い意味ですが、冷静に真ん中にいるのではなく、いろいろなものを飲み込んで、うまく混ぜ合わせて調整し、偏らず、とらわれずという意味で、極端な態度を節制した態度を心がけようという意味かと思います。
その態度こそが、心の平穏と実生活での成功を導くと。
まとめ
正位置
自分の価値観、喜怒哀楽の感情、生活上の利害など、極端な態度で何かに偏ったり囚われたりしないように生活することが重要。
裏の意味
心の平安や社会的思考には、自分の価値観や善悪感情とは相いれないものをうまく飲み込む必要がある。
逆位置
考えや行動が偏っていたり、何かに囚われているせいで、心の平安は得られず、また、社会生活もうまくいかない。