タロットカードの昼と夜

「二律背反性」をテーマにタロットカードの意味を解説していきたいと思います

大アルカナ5番「法王」の意味

はじめに

この記事では大アルカナ5番「法王」の解説をします。

このカードは難しいですね。

特に、このブログのテーマである、世の中すべてあちらを立てればこちらが立たずという二律背反性を軸に説明するのは困難だと思います(私が勝手に設定したテーマですが)。

タイトルからしてキリスト教的な影響を受けており、どう考えても肯定的に捉えないといけない気もします。

日本人には宗教に懐疑的な人も多いし、俗物の聖職者も多いですから、うがった見方をしてしまいがちですが(私だけか?)、威張っている人ではなく、正当な権威ある立派な人物が描かれていると捉えます。

そういう意味では、このカードは占い的には「当たり」のカードです。

たまには純粋なカード解釈をしてみたいと思います。

絵の解釈

まず、描かれている法王。

赤い服を着ており、情熱というか、強い意志を持った人物であることが描かれています。

しかし、その下にはしっかりと白い服を着ており、純粋さや理性に裏打ちされた立派な人物であることが示されています。

そして、大事な点は、背景が灰色である点です。

背景に2本の柱がありますが、白と黒といったような色付けはされておらず、実生活で直面するような世俗的な二項対立ではなく、あくまで中立性が強調され、普遍的な教えを授けていることを意味します。

大アルカナ2番の「女教皇」のように、書物を手にしているわけでもなく、知的なものというより、精神的な教えを説いていることになります。

そして、黄金の冠と杖は3段になっており、父と子と精霊の三位一体を表しています。

私は、カトリック系の中学・高校を出ていて、神父さん話を聞く機会も多かったり、「父と子と精霊のみ名において・・・」と日常的に言っていたので、こういうものとすんなり入りますが、キリスト教にあまり詳しくない人は、父と子と精霊の三位一体はぴんと来ないかもしれませんね。

要するに、キリスト教的な世界観において、世界全体のつながりとか世界の理を表すものという理解でよく、この黄金の冠と杖は、一番戦争が強いとか一番金持ちといった王様や貴族のような世俗的な権威ではなく、神の祝福を行う絶対的な権威の象徴ということで良いと思います。

そして、左手のサインは神の祝福を与えるサインですが、意味は「上の如く、下も然り」(As above, so below)で、天の如く地上もあれ、という意味です。

足元の鍵は、キリスト教においてキリストが聖ペトロ(12人の使徒の1人)に授けた、天と地上を結びつける鍵だと思います。

しかし、鍵は二つ。

これは、ひざまずいている二人の僧侶との関係かと思います。

二人の僧侶、一人の衣服には赤いバラが描かれ、もう一人の衣服には白いユリが描かれ、それぞれ、愛と純潔さを意味していると考えられます。

以上から、この法王は、正統な権威をもつ人で、中立普遍の立場から、天と地上をつなぐ二つの鍵が愛と純粋さであることを説いているのだと思います。

ここで、まとめてもいいのですが、例の如く、脱線したいと思います。

全ては宗教か

形而上学(けいじじょうがく)という言葉があります。

哲学者とかが使う言葉で、聞いたことある人でも、いまいち意味は知らなかったりするかもしれません。

もっとも、本当は大して難しい言葉でもなく、人間の五感で認識できないものを対象とする学問のことを言います。

例えば、宇宙の本質とか、神様はいるのかとか、人はどう生きるべきかとか、実験したり観察したりして、科学的に証明できないものを議論する学問を意味します。

最近は、科学的根拠とか、ロジカルシンキングとかが流行りで、根拠のない議論は、議論自体が嫌われますが、実は、人間とか社会の話をするときには、形而上学的な議論は避けられません。

共産主義で有名なマルクスという人は、資本論という書物を書き、当時一世を風靡して、たくさんのマルクス主義者を生み出しました。

しかし、マルクス主義者たちは、自分達の活動が宗教のように捉えられることを嫌がり、マルクス主義はあくまで科学であるという点に固執しました。

その結果、「世の中のすべては物理法則で説明できる」と、証明不能な形而上学的な前提に以上にこだわり、かえっておかしな結論になったといわれます。



確かに、世の中すべてを分解していけば原子になるのでしょうが、世の中のすべてが化学反応だとすると、世の中の出来事は全て必然なのでしょうか。

人間を構成するすべての原子の状態を計算するスーパーコンピューターを作ると、その人の行動は完全に予測できるのでしょうか。

どうもそうではない気がします。

それと同じで、科学的で合理的な議論をしようにも、人間や世の中を語るときには、形而上学的な議論、すなわち検証できない議論は避けられません。

かといって、根拠のない主張は避けるべきとして、人はどう生きるべきとか、何を善として何を悪とするかなどを議論しないわけにはいきません。

人と議論しているときに、「あなたは、魂が汚れているから、神様の声が聞こえないのだ、だから理解できないのだ」と言われたら、事実上議論不能で、駄目だこりゃとなります。

しかし、世の中のほとんどの議論は、実はそれと同じで、行き着くところまで行き着けば、正しいと信じているから信じているという自己循環状態になります。

友人などと議論するときに、なんでもかんでも、最終的には価値観が違うから分かり合えないとあきらめるのはちょっと違うかもしれませんが、そういった他人との議論の本質を頭の片隅に入れておくことは重要です。

協調性の功罪

結局、人は、自分の生き方などについて、どんなに考えたところで、最後には、「自分はこれが正しいと思うからこう生きる」という根拠のない信念を持たざるを得ません。

それこそが個人の尊厳です。

しかし、自分の価値観を孤独に貫いて生きるのは実際には大変です。

その結果、意見の合う仲間と集団を作り協調した行動をするようになります。

同質な他者と集団を作り共感しあうことで、孤独から解放され、安心して生きられるからです。

自分だけの生き方を孤独に追及するのではなく、自分をその一部として包んでくれる全体に身を委ね、個人を捨てて積極的に集団の一部として行動するようになります。

しかし、これが行き過ぎると、同質な集団行動が当然となり、いじめのように、異質なものを見ると攻撃・排除するという傾向につながります。

仲間と協調した集団行動の中には安心感がある一方で、自分と違う異質な者が登場すると、その安心感が壊れるような不安を感じ、異質なものに攻撃的になるとともに、自分たちの信念がさも絶対的な原理であると思い込むようになります。

だいぶ法王が関係なくなってきたようですが、ここでこのカードに戻ります。

「法王」が教えてくれるもの

この法王のカードが教えてくれるのは、結局世の中、個人個人の価値観の対立は避けられない中で、中立普遍に「正しい」ものは、愛と純粋さだということかと思います。

上述したように、どう生きるかとか、道徳とは何かとか、人生において何が大切かとか、どれも形而上学的な議論は避けられず、結局は、自分がそう思うからそう信じるという点で、宗教みたいなものです。

しかし、一人一人が自由意思で行動して、個人個人を尊重できるのであればいいのですが、孤独に自分だけの価値観を貫いていくのは実際には大変ですから、同じような仲間と協調行動をとるようになり、いつのまにか共感による安心感を維持するための集団行動優先となります。

そして、異質なものを攻撃排除するようになり、本当のところ答えなんてないのに、自分たちの価値観が絶対的に正しいかのようにふるまってしまいます。

そこで、このカードが登場します。

しかるべき理性と意志を備え正当な権威をもつ法王が、世俗的な対立とは無縁の灰色の中立な背景のなかで、愛すなわち隣人を大切にすることと、欲にまみれず純粋な気持ちを保つこと、この二つこそが、天と地上を結びつける鍵だと教えてくれているわけです。

この二つ以外に、神の祝福にあたいするような絶対的な価値観はないわけです。

まとめ

ちょっと脱線しすぎましたが、カードの解釈としては、あくまで正当な権威ある法王による祝福という、シンプルな解釈がよいかと思います(このサイトでは珍しいですが)。

正位置
祝福されるべき状態、安定や幸せ。祝福されるべき恋愛や結婚、意義のある仕事、正当な評価など。威厳と内容の一致、地に足付いた行動。

逆位置
祝福されない状態。身勝手な恋愛や結婚、独りよがりな行動。威張っているだけ、横柄な態度。

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