はじめに
この記事では大アルカナ11番「正義」の解説をします。
このカードは面白いカードです。
正義とは何ぞやなんていうのは、友人なんかと議論を始めれば紛糾必死のテーマですし、巷には、正義の名を借りた偽善や暴力が横行しています。
そんな正義ですから、あれこれ深読みしてしまいそうですが、非常にシンプルなメッセージになっているのが特徴かと思います。
右手の剣
絵の構図はシンプルで、厳格そうな人が、右手に剣、左手に天秤を持って、玉座に座っています。そして、真っ赤な衣服を身にまとっているというのも見逃せません。
まず、剣です。
剣というのは、理性の象徴とされます。
なぜ剣が理性の象徴とされるのか、それは、理性が物事を冷たく一刀両断するからです。
我々は、日常生活で合理的な部分もありますし、難しい問題に直面するとじっくり考えたりしますが、常にコンピューターのように計算づくで行動しているわけではなく、実際には、直感や感情を大事にして生活しています。
そして、合理性なんて求めなくても、多くの場面でうまくいきますし、うまくいかなくても、家族間、友人間、恋人間でも、ほとぼりが冷めた後に「お互いごめんね」と言って、関係を修復できます。
しかし、時には感情のもつれなどから、修復不能な亀裂が入ることがあります。
どうしようもなくなると、トラブルは裁判所に行きます。
そして、そこで登場するのは、裁判官という超理性的な人です。
お互いの言い分をよく聞いてくれますが、同情や愛情を持って聞いてくれるわけではなく、事実を整理するためだけに聞き、最終的に理性で結論を出します。
裁判所が長い判決文を書くのも、裁判官には頭が良い人しかなれないのも、裁判に負けた方は絶対に感情的に納得しないのですが、「むむむ。。。」とぐうの音も出ないような理屈を示す必要があるからです。
そういった、感情的に納得できない勝ち負けの結論を、文句も言わせずに押し付けることが可能なのが理性の力であり、また、冷たさでもあります。
右手の剣は、そういった理性の力、「でもでも、だってだって…」という感情論を一刀両断して反論を封じ込める力と冷たさを表しています。
左手の天秤
次は左手の天秤です。この天秤はなかなか象徴的です。
天秤に象徴される正義とは、結局のところ、正義とは借りたものを返すことに尽きるという考えでしょう。
もちろんこれは、数ある「正義とは何ぞや」の答えのうちの一つでしかありません。
ある意味、日本的な考え方でもあります。
日本の江戸時代においてキリスト教は禁止されていましたが、その理由は、キリスト教の神様のような現実世界を超越した存在を認めると、現実社会を軽視することにつながって、世の中の秩序が乱れるからという単純なものでした。
これは、なかなか鋭い見解で、神の教え的な超越的なものを持ち出すと、ただの喧嘩も収拾がつかなくなり、最終的にはお互いを滅ぼす以外に解決を見ないのはちょっと考えれば誰でもわかります。
おかげで、人類の歴史は戦争の歴史といえ、しかもそれは終わることなくいまだに続いています。
この点、昔の日本社会というのは、侍という、刀を常に腰に差していて、切りあいを生業にするする人たちが社会の支配者層で、絶対的な価値感を持ち出し始めたら、命がいくつあっても足りないことは自分たちが一番よく知っていましたから、非常に現実的な価値観が出来上がりました。
例えば、私たちが生きている社会で最も重要なルールの一つは、義理、つまり恩を受けたら必ず返すというルールです。
西洋社会だと、愛というのは無償のもので、見返りを求めるものではありません。
もちろん、日本でも、親の子供に対する愛なんて言うのは見返りを求めるものではないのですが、しかし、親孝行しないものは人間ではない、受けた恩は必ず返せと、子供のころから徹底されます。
無償の愛などと美しいこと言って、見返りは求めていないはずなのに、受けっぱなしにしておくと、結局は裏切りなるもの経て、愛が憎しみに変わって骨肉の争いが始まるのは、だれでも知っていますから、きれいごとをそのまま放置したりしません。
なんか起きたら切り合わなくてはいけない結果、超現実主義者となった我々の祖先は、親子だろうが親友だろうが、恩を受けたら必ず返すというルールを徹底しました。
人付き合いは損得勘定で語るべきものではないですが、現実的には、そこを無視できるものでもないわけです。
カードの説明に戻りますが、正義として天秤の絵が描いてあるのはとても示唆的で、特定の教義の教えや価値観を正義としているのではなく、つり合いが取れているの状態が正義が保たれている状態という意味なのだと思います。
人物像
この人物像もよく見ると面白いです。
威厳がありそうな堂々たる風格は当然としても、面白いのは服の色です。
正義を実現するといえば裁判官ですが、裁判官というのは、どの国でも黒い服と決まっています。理由を調べたら、何物にも染まらないという意味があるそうです。
確かに、犯罪のように、理由もなく被害者が加害者に傷つけられた場合、つまり、一方的に天秤が傾けられたような場合、そこに必要なのは、冷徹な心で剣を振り、相応の報いを与えて天秤を元に戻すことで、内面の心理作用としては、何物にも染まらないという黒が適切な気もします。
しかし、この人は真っ赤な服を着ています。
タロットの世界では、赤は情熱を意味します。
つまり、正義の実現、釣り合った世界を実現するには、意志の力が必要というメッセージが込められているのだと思います。
左手に持った天秤が何らかの理由で一方的に傾いたときに、右手の剣つまり理性の力で傾きを認識し、その天秤を元に戻さなくて引けないのですが、そのためには意志の力が必要であるという認識でよいと思います。
もちろん、この描かれている人を、正義の番人的な神格化した存在としてとらえることもできますが、もっとシンプルに、自分自身ととらえてよいかと思います。
つまり、借りは返すといった調和のとれた状態こそが正義の実現した状態で、傾いた天秤を戻すためにはしっかりと理性を働かせる必要がある。そして、なにより、その状態を実現するには、他人に世話になりっぱなしに甘んじたり、やられっぱなしで済ませるのではなく、調和のとれた状態を目指す意志の力が必要であるということなのだと思います。
以上から考えると、このカードの正の意味は、冷静な理性や意志の力が働いて調和のとれた状態が実現されている、より主体的な言い方をすれば、実現出来ているということだと思います。
まとめ
裏の意味
裏の意味はシンプルです。
正義というと重苦しいですが、調和のとれた生活を得るためには、感情や直感だけでなく理性を働かせる必要がある。
もっと突っ込んで言うと、人間関係、特に、家族や親友関係のような情の深い関係においても、調和のとれた状態を実現するには、愛情や友情に訴えるだけでなく、天秤を均衡に保つ理性、さらには調和のとれた状態を理性的に実現していこうとする、意志の力が必要。
逆の意味
まず、正義とは名ばかりの一方的な価値観や感情論を押し付けているだけで、貸し借りや損得が一切清算されていない天秤が傾きっぱなしの状態。
また、受け身に回っており、傾いた天秤を戻そうとする意志の力がない。